まだ血の味

下顎、舌の裏に当たるあたりから鋭い何かが突き出てきたのを感じた。

はじめのうち、歯茎に傷でもできて痛んでいるのかなと口内炎の薬を塗るなどしていたけれど、日を経るごとに尖った何かが、白く硬い何かが、てかもう歯が、これ普通に歯だな〜というものが露出してきた。

僕は親不知を既に3本抜いており、これは残りの1の可能性が高いのだけど、とはいえ位置がおかしい。親不知は変な方向に生えることがあるとは聞くけれど、舌の裏のへんとなるとさすがに確信が持てない。サイズもなんだか小さい気がしてきた。これ本当に歯かな?

堂々と「親不知です!」と申告して歯医者さんに予約を入れるのが憚られた。電話口では「わかんない...歯っぽい何か...硬いものがあるんです...」と曖昧に伝えた。

歯医者にやってきた。こんなことなんでもござんせん、と虚勢を張りながら、大口を開けて診てもらう。歯じゃないらしい。その後の「歯茎開いて取っちゃいましょう」で動揺して正直もうあんまり細かく覚えていないのだけど、これは親不知ではなくて骨で、強い圧がかかったために出てきたもので、あとなんか親知らずも取るっぽい。「親不知を取るかたへ」と書かれた、注意事項が並ぶ紙を渡される。持つ手は震えている。鏡に映る顔はとっくに真っ白だった。

顔にタオルをかけられる。1時間半に渡る長丁場。終盤は麻酔も切れかけ、それだけやっても親不知は抜けない。もうよしましょう、とばかりに、根を残したまま歯茎を縫い直す。骨とガチガチにくっついていて無理すぎるため、とりあえずこれで様子を見るらしい。処置中、気絶できるタイミングが三度ほどあった。

お会計は7,000円ほど。歯医者さんで受けるにしては長時間のハードな手術で、まあそんなものなのでしょう。でもむしろその倍もらいたい気持ちです。こんなにつらい思いをしたのだから。

iDで支払う。歯医者さんってiDで支払えるんだ。決済端末にアップルウォッチをかざす。いつも優しく上品な衛生士さんが、シャリ〜ンの音にかぶさるようにシャリ〜ンの音にかぶさるように「すげ!」と発した。それはおもしろかったけれども。

うごめく架空

NFTアートでもやるか、と軽率に思い立つ。

NFT。聞けば聞くほどよくわからなく、正直なところ特に価値のあることだと思えない。さておき、ちょっとした手すさび程度にならやってみてもいいだろう。

NFTアートを売買するサイトみたいのがある。そこでは仮想通貨、暗号資産、なんかそういう名前の、よくわからない架空っぽいやつがお金として使われている。架空っぽくても、ちゃんとその場で効力を持つお金。当然、僕もそれを持っていなきゃお話にならない。暗号資産をやりとりできる口座を作って、キャンペーンでもらえたちょっとのお金と、自分のお金をもうちょっと口座に入れて、架空のお金を買った。計7,000円くらい。

売買サイトに戻ってもろもろ進めていると、なんか初期手数料に1.5万円ぶんくらいの架空のお金が要るっぽいことがわかる。ばかを言うんじゃない。ようわからん遊びにそんなにお金が出せてたまるか。大して富んでおらんのだぞ。中止です。

どうしようもないので、宙に浮いた架空のお金を観察している。わからんなりに毎日グラフを見る。半月ほど経った。その間、7,000円のお金が一時9,000円近くまで持ち上がり、その後7,000円くらいに戻ってきている。僕の目には特に価値があるように見えないよくわからんものが、勝手に膨らんで勝手に萎んでいる。

得体が知れずもぞもぞ動いている何かに、気持ちわる〜〜〜とだけ思う。

若者のおもい

同じ部署の若者が、上司に異議を唱えていた。


評価制度の不備に関する話だった。率直な気持ちを伝えてはいるのだけど、自分のなかで違和感や不満が発生しているポイントをきちんと特定できていない。そのせいで、上司ののらりくらりとした対応にいなされてしまっている。


うちの会社の評価制度がまともに機能していないというのは、正しい。
僕も毎度「これマジで意味ねえな」と思っているところではあるのだけど、個人的には評価制度は死んでてもらったほうが楽ができると思い、そのまま従っていた。ぬるま湯に浸かっていたいのだ。慣れきったこの水温を自分で上げ下げしようなんて到底思えない。

ただ、明らかに正しい主張をしようとしている若者が「小僧がなんぞ囀っとるわい」で片付けられてしまうのは忍びない。僕はちゃんとしていないが、ちゃんとしている人はそのぶん評価されてほしいと思う。かれの思うところと問題の根っこのところを正確に、伝わりやすく、上司に翻訳してあげた。

評価制度がまともになってしまうのが本当にいやだ。ことによっては、頑張らなければならなくなるかもしれない。苦い顔をしながら、現状の制度の不備をひとつずつ指摘していく。頑張りたい若者は報われてほしい。僕は絶対に頑張りたくない。たのむから何も変わらないで、そのままの駄目な会社でいれくれ。


ああ、若者の思いを整理した僕の言葉で、上司が納得してしまった。改善策を考えるという。勘弁してください。

同じほうを向く人

「人気ユーチューバーを真似て友達同士でやってる底辺ユーチューバー集団」のような揶揄を見かけることがあった。大学生ノリ的な軽率さと、モデルとしている集団と違ってまったく評価されていないという点を嘲るという趣きだと思う。

普通に生活していると「同じ活動を同じノリでできる人間が近場に複数いる」なんてことは得難く、結果として出力されている動画がどうあれ、僕は彼らがグループで活動できていることそれ自体がとても眩しく見える。

一般的な感覚と乖離しまくっていたらはずかしいけど、僕の経験を基に考えると、大人はなかなか新しい友達ができない。似た感覚の人間との接近遭遇の機会がそもそもないし、一緒に何か事を進めたければ、その後の価値観のすり合わせも必要だ。そんな奇跡、少なくとも僕の身にはまったく起きそうにない。

恋人関係にある人たちが例外になる。

接近遭遇とすり合わせが自然に行われて育まれていく関係だから、何かをやろうと思えば同じ気持ちでやれるかもしれない。カップルユーチューバーというのは、そういった事情で生まれるのかな。

終わるとき全部終わるからしんどそう。

アイホンと鍋つかみ

先月頃から、人形劇をつくってユーチューブにアップしている。

ことし新しく買ったアイホンに良いカメラが載っていたのと、Amazonで人形の口のパーツに使えそうな鍋つかみを見かけたことがきっかけで開始。変な入口でも始まるときは始まるものだね。
飽き性な人間だので、ひとつふたつ作ったところでやめちゃうかな?という危惧もあったものの、思いのほか楽しくやれている。とりあえず今日までは、毎日何かしら考えたり作ったりしながら、ひと月。

動画は、再生数が出るのが良い。
まんがは、描いてアップしさえすれば「反応こそないが、どこかの誰かには届いているかもしれない...」などと思うことができた。それはそれで素敵だけど、どこにも届いていないものを大事に抱えてそんなロマンチックにならんでもいいかなと思ってきた。動画は、再生数がゼロならゼロで、身も蓋もない。今はそれが心地良いっぽい。

いくつかのおもしろいを

年末いろいろ見てすこし考えた。

 

キュウ

感情で駆動しない。グルーヴで駆動しない。
ひとつの切り口からロジカルに発展していく、パズルのような漫才。

明らかな意図をもって作り上げられた作品で、またふたりともはっきりと「役」を演じている。彼らの態度が場を「演じ手」と「鑑賞者」に分離する。舞台と客席に大きな隔たりを設けて、客とひとつの空間を共有しない。見てる側に熱を伝播させることが勝ちにつながりやすい(ように見える)M-1で、あのスタイルで準決勝まで進めてしまうのって、本当にすごいんじゃないか。

 

ヒコロヒー

意地悪な視点の提示に魅力がある。その視点をプレゼンする能力にも長けていて、それがタレント力に直結しているんだろうと思う。

一方で、それをコントで表現しようとしたとき、持ち前の「視点」を面白がってもらいたいがために説明的になりすぎているように見える。ひとりでやる制限もあってか、芝居ではなくプレゼンになってしまう。「○○なのに××」というお題に沿った大喜利を並列されていくような感覚。

 

錦鯉

準決勝を見たとき「今年は錦鯉が勝つんだな」と思った。バカがどんどんスピードアップしていって、こちらの感情もドライブさせていく。おもしろいねえ。

 

モグライダー

ともしげにいかに負荷をかけてエラーを吐かせるか。芝はそういう設計をしているらしい。

見られる範囲でいろいろ見ていくと実際プレッシャーミニゲームを量産していて、ちょっとしたゲームクリエイターのようだと思う。ゲームの上でストレスを与えて失敗を待つ。カイジのあっち側みたいなおもしろがりかただ。ところで芝という人は、ストレスから出たエラーを全部捌ける自信があるということなので、おそろしい。

 

テレビで見た範囲で。

歯を白く

歯を白くした。

家でできるタイプのホワイトニングで、薬剤を仕込んだマウスピースを歯にかぶせて、あとは寝ちゃえば朝までにじんわり漂白してくれるという感じ。それを2週間、毎晩やる。薬剤がけっこう歯茎にしみる。それは事前に説明を受けてたのでそんなもんなんだろうと無視していたのだけど、終わってみると歯医者さんには「そんなまじめに毎晩やる人はめったにいない、痛いし」とすこし驚かれた。先に言ってよ。

歯医者さんでは、ホワイトニングを始める前と2週間やった後でそれぞれ歯の写真を撮った。正直すこし「それ要るかな?」と思っていた。成果を見比べるときに「過去の自分は好ましくない状態だった」と思ってしまいそうで、それがいやだった。でもそれなりのお金がかかる施術だし、効果はわかりやすいほうが楽しいよねとも思う。実際、前後の写真を見比べたときにはそれなりに高揚した。

急に思い立ってホワイトニングをお願いしたけど、べつに他人に見られることを気にして白くしたわけではなかった。マスクが必須の世の中で、歯を見られる機会はそうそうないし。
他人どころか、もはや自分ですらあまり見ることがなくなってしまった。顔半分を不織布で覆って一日過ごした後、鏡の前でマスクを外して、十何時間かぶりに歯を見る。それが僕の思っていた僕の歯よりもずいぶんと黄色くて、それにとても違和感を覚えた。自分じゃないみたいだった。

自分のすがたを確認する機会が減ったことで、イメージする自分と実際の自分が離れてきてしまった。どうにも気持ちの収まりが悪くて、その距離を調整するための漂白。落ち着いた。